運命のロングシュート 〜初代大黒柱〜 |
大黒柱。チームの中心となる選手。 春日部スフィーダがプロクラブに登録されたとき、正式に契約された選手「荒井栄一郎」。彼は昨年、40歳をむかえ1年間レギュラーとして出場し引退していった… 彼は32歳のとき正式に契約した。 「オレは荒井栄一郎だ。高年齢だかサッカーに対する気持ちはだれにもまけねぇぞ!みんなでJ1めざそうな!」 っと最後に自己紹介した。 「さぁ、チーム練習を開始するぞ!」 っとキャプテン、ダルドが言った。 初の練習が開始された。 初の練習は全体練習だった。ゲーム式練習だった。 キャプテン、ダルドは運動量豊富なダイナモだった。 友田はチーム内ではなかなかのテクニックをもっていた。 葛西はストッパーっとしてチームになくてはならない存在だった。 「チームの方針は特徴的プレイをいかす選手だ!」 っ監督から伝えられていた。 しかし、荒井には特徴的な物がなかった。 そしてJ2開幕。荒井は先発に選ばれなかった。チームは1つのなることができず、6連敗した。しかし、他のチームからのトレード移籍により、「ロビアーノ」「エリーマロ」という外人2が補強された。この二人も特徴的な物があった。エリーマロは抜群の正確さのポストプレイ。ロビアーノは葛西に負けないストッパーとした能力。そしてみんなにすかれていく性格…。彼らは即戦力としてレギュラーになった。 荒井はさらにレギュラーになるのが難しくなってしまった…… 数日後、彼は残って練習していた。しかし、練習内容がかなり変わっていた。フリーキック用の人形をゴールから15メートルにおいて、センターサークルからジグザグドリブル。人形をの頭を越えてるロングーシュート。これはかなり難しい練習だった。1日目は人形にぶつかりまくっていた。だが徐々に入るようになっていった… しかし、荒井はぜったいに他の人には気づかれたくなかった。プレイシーズンマッチなどでおどろかそうとおもっていたからだ… チームができて、3年目をむかえた。スフィーダはJ1昇格した年だった。ここまで先発出場は1回もなかった。たまに途中出場があったが、ケガなどによる、「人数合わせ」にしかすぎなかつた。 2月、プレイシーズンマッチ。 「今回は普段ベンチのやつ主体でいくぞ!」 っとかんとくにいわれた。 「ここがチャンスだ!」 っと思った荒井は試合開始早々ドリブルしていき4人を抜いたところでシュートをはなった。コースがあいていたのもあるが無謀だった。 「おい!なんで打つっ…ん!?」 っとチームメイトが言いかけた瞬間、スタジアムは静まりかえった。 実況「…GOOL!試合開始早々、荒井のロングシュート!この長い距離からです!」 っと。 「かっ監督!荒井はいつ、あんな精度のいい特徴的な物を…!?」 っとコーチが。 「私にもわからない。普段の練習はいつもどうりだったのだが…しんし、決してあのシュートはまぐれではないぞ…」 っと一気に注目された。このアトも荒井が1点追加点をうばい、2−0と快勝した。 スフィーダ初のJ1開幕。しかし荒井はスタメンには選ばれなかった。 前半終了。0−1と負けている状態。ロッカーはしずんでいた。1点差といえども、シュート数が2回という、攻撃において良い形ができていなかった。 後半開始。荒井が交代で投入された。 後半35分、1本のクリアが荒井へとつながった。 しかし相手DFは3人。ペナルティエリア外でうけたのでゴールまでは約30メートル。相手DFの一人がよせてくる。これをかわしロングシュート… GOOOOOOOOOOL!!! 1−1の同点に追いついた。まさに練習どうりのシュートだった。 「やってくれたなぁ!荒井!」 監督は改めて荒井のロングシュートにすごさを感じた。 このあと友田のセンタリングに荒井が合わせ逆転。 2−1と勝利した。 この試合をきっかけに、荒井はレギュラーを獲得した。 2年後、スフィーダは初の1STステージ優勝を成し遂げた。そしてこの年の終わり、荒井は得点王に輝いた。 キャプテンではないが、まさにチームの「大黒柱」に成長していった。 そしてチーム創立9年目。荒井は40歳になっていた。さすがに体力・フィジカルは衰えていたが決定力はあの「ロングシュート」をきっかけに衰えてはいなかった。しかし、10月引退を敦オーナーに言いにきたのであった… 「もう、チームのなかでプレイするのは無理に近い状態です。体力的にも…。…引退します。今までありがとうございました。」 っと。オーナーは快く承諾した。 そして12月31日、来年はコーチとしてチームに残ることが正式に決まり、クラブハウスをあとにした。 荒井栄一郎。かれのロングシュートはスフィーダの歴史に大きくのこることだろう…そして初代「大黒柱」として… |