高原、世界一への軌跡…前編


数年前、Jのクラブとしては初めて世界一という輝かしい栄光を得たクラブがあった、その名はFC草津、味気のない名前だといえばそれまでだが、サポーターなどが名前がすぐに覚えられるようにと配慮されてつけられた名前だった、しかしかつての世界一も世代交代の失敗から始まって徐々に弱体化していき、いまやJ2項書く争いをするほどに成り下がってしまった、そんなクラブを何とか立て直そうと代表は世界中にスカウトを飛ばしていたが、未だこの状況を打開できるような選手はいなかった…。


それから3ヵ月後のことだった、代表のPCにスカウトからのメールが届いた、そこにはいつものように補強選手リストが添付されていた、しかし代表としてはこのメールを読むのも億劫だった、なぜならこのメールを送ってきたスカウトは最近名が知れ始めたばかりの新鋭スカウトだった、スカウトとしての能力は皆無でいつもピークを過ぎたベテランばかりリストアップしてきた、代表は面倒くさそうに添付されたリストを開いた…。



同じころ、ドイツのハンブルクSCというクラブの代表室で、ハンブルクの監督と代表がなにやらもめていた。

監督「代表!Jのクラブなどに高原選手の移籍を承諾したというのは本当ですか!}

代表「…本当だ」

監督「なぜですか?彼は我がチームに必要な戦力です、移籍などできるはずがありません!」

代表「しかしあのクラブは世界一にも輝いたこともある、高原のためにもそのほうがいいのでは」

監督「いくら古豪とはいえいまやタダの弱小クラブです、これが彼のためになるとは思えません」

この口論は結局半日近く続いた、そして案の定FC草津から高原へのオファーがきた、高原は迷っていた
高原(俺はせっかくブンデスという強豪リーグにこれたというのに、またJの戻るのか?それは…、しかしあのクラブは…)
いつもの高原ならば速攻で断っていただろう、しかし高原が悩んでいる理由はFC草津に在籍しているある選手によるものだった…。

後半に続く